【病床録】六
〜人生の師に學ぶ〜
(いつにも増して長い独白のようなものなので、何卒、テキトウに🤣お付き合いください😆🙏)
時間が伸び縮みする感覚を病気以来持っていて、その記憶や思い出にも濃淡がハッキリ色づけされます。
有り体に言えば、経過した年月や体験した時間の長さとは関係なく、自分に照射されるエネルギー量によって、記憶の定着具合が決まってくるようです。
そういう意味では、「福岡正信先生」との出逢いは、非常に大きな人生の一大事でした!
自然農法の祖と言われる福岡先生は、『無為自然』の老荘思想を、生きる糧を得ることを含めた人生全般に実践、生き抜いた稀有な方です。
具体的な農法は「不耕起・無肥料・無農薬・無除草、それでいて豊かな収穫を得る…」という現代科学・近代農業の常識を逸脱したものです。
その実際の人生は、
生活インフラの全く無い山中に基盤を置いた、まるで仙人のような生き方をしながら、ご自身のお子さん4人を全員大学に上げ、「砂漠に種を!」プロジェクトをはじめ様々な海外協力に尽力されました。
「アジアのノーベル賞」とも呼ばれるマグサイサイ賞にも選ばれた、世界では最も有名な日本人のひとりで、亡くなった今なお、農業・思想の分野で稀代の存在です。
東京農業大学に在学時、福岡先生の著書「わら一本の革命」を読んで感動した私は、勝手に愛媛県伊予市の先生の元へ押しかけ弟子入りを志願、無理矢理約1年間居座ることになります。
それまで、ろくすっぽ炊事などしてこなかった私が、薪を割り囲炉裏に火を焚べ、川の水を引いて、福岡家で獲れた米や野菜・山中の野草などを調理して食べました。
日中は福岡農園の農作業を手伝い、夜は月明かりで本を読み、山で拾った柴犬の「コロ」🐕を番犬代わりに、鼻がつままれても分からない真っ暗な新月の夜も山小屋で一緒に寝ました。
先生と行動を共にする時は、鍬やノコギリといった道具の基本的な使い方、自然や植物のこと等教えていただきました。
先生は自然を見切っているなと感じてました。
朝には「六角堂」という先生の建てられた吹き抜けの建屋で般若心経・修証義を読誦、瞑想の真似ごともしてみました。
当時先生の元には、自然(有機)農法や自然食を目指す方や、新興宗教、ヒッピー系から、単なる自分探しの人まで、ひっきりなしに訪れては先生に追い返されてました🤣
(お相手をするのは、もっぱら私でした)
「一楽照雄」「食養生」「世界救世教(MOA)」や「アーミッシュ」その他精神世界の用語が雑多に交わされる場でした。
仙人然としていた先生自身はしかし、スプリチュアルなことには一線を画す方でした。
そんな雲上の時間の経験の思い出はキリがありません!
その一例を数年前に投稿したものが以下です。
長くなりますが、再掲させていただきます。
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【紅は紅ならず、緑は緑ならず。
ただ、人がそう区別したに過ぎない】
「高田くん、赤とはどういう色かね?」
乾いた寒い冬の晩、愛媛は伊予の山中で、囲炉裏の炎の向こう側から、突然と福岡正信先生は問いかけてきた
「あか? 赤ですか・・・?
そうですね・・・色の三原色のひとつですよね・・・
イチゴの色というか、アケビの色というか・・・」
「だから、どういう色!なんじゃい?」
「ああーですから・・・あっ、そうそう血の色ですよ! 血の色!
それから・・・そうだっ!
虹では必ずいちばん外側に現れるって、聞いたことがあります。
さらに波長の長いのは赤外線で、見えないんですよね、確か・・・」
「んん・・・」
眼を閉じてしまった先生。
しばらくして、眼光鋭い一瞥を忽然と投げ掛けた。
「それでは高田くん、緑色とは?」
小屋の外で木々をゆらす風と、マキがパチパチ燃える音しかしない静寂(しじま)の六畳あまりの狭い空間。
「み、みどりですか・・・。木の葉の色というか・・・
そこの大根の葉や、セリの色のような、そんなような色ですけど・・・」
「それは緑という色を直接言っているものじゃないなぁ。」
「はあ・・・そうですが・・・
先生、赤とか緑ってどういう色なんですか?」
自在に引っ掛けたヤカンから、湯気がわずかに出ている。
「知らないなあ。わしは!」
「えっ? しらない!?」
今の自分よりはずーと若く、脳みそも軟らかかったはずだが、頭の回線は混乱、ショートしてしまう。
いつものことだった、が。
「先生も知らないって、じゃあ何故?私に問われたのですか?」
「知らない、ということを知っているか。
ということじゃ。」
「???はぁ・・・・」
「赤が真にどういう色なのか、緑色とはどういう本質なのか、本当に分かっている者なぞ、おりゃせんのだよ。」
「・・・・・・・」
「色だけじゃない、この宇宙の万物すべて!人間は知りえていない!
その本質を分かったかのように言うが、実は知ってなどいない。
ただ、人間の都合のよいように、分別し、名前を付け、仮初めに体系立てているだけなんだよ。
赤とか緑とか名付けられている「そのもの」を理解することはできない。
我々もその宇宙のなかの一部、唯一知ることが出来るのが、知らない!ということだけなんじゃ。」
「それは所謂、無知の知ということなんでしょうか?
それか、いつも先生がおっしゃっている【無】ということなんでしょうか?」
「君、分かったようなことを言うんじゃないっ!
それも全て、人間の浅はかな知恵にすぎないんじゃよ!
分からないということ、分かるかな?」
「はい、なんとなく分かります・・・・
あっ!!
いやいやっ、分かりません!わかりませんよぉ・・・・(笑)」
「ふふふっ・・・・」
ばさばさっと鳥の羽ばたきが近くに聞こえる、夕べ。
小さな蝋燭の火に映し出された影が、私たち二人が動くたびに大きく揺れていた。
*
(中略)
実は今でも私の存在の奥底に福岡正信先生との邂逅は常に在ります。
実人生の中で雌伏させてはおりますが(笑)
実際、何回か福岡先生のことを人に話したことはあったのですが、理解されないばかりか、変人扱いされるばかりなので、いつしか自分からは口にしなくなりました。
数か月前、しみ抜きの補色で色かけをしている時、天から降りてくるようにこの話を思い出しまして、最近ますます思いが甦ってまいりました。
(後略) 再掲 以上
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ちなみにですが、福岡先生は、
「もし“色”というのが分かる者がいるとしたら、画家🎨というか芸術家だろうな。。」
とおしゃってました。
理屈やテクニックで色を判別したり認識するよりも、感性(センス)によって色を感得・捉えて、クリエイトまで出来る能力だと解釈しています。
徳山暉純先生流に言えば、大脳新皮質より間脳視床下部のはたらきかもしれません。
私の本業におけるシミ抜きの技法で、生地の抜けた色・失われた色・変わってしまった色を修正する『染色補正』というものがあります♪
私がシミ抜きの基礎を習った、京技術修染会の石塚 保博先生は、この「染色補正」技術が最高峰の方です!
衣類の色彩に違和感が無いように元の状態に復元するためには、正確な色調を作った上、染色しなければなりません。
既存の染料だけでは満足いく色味にはならず、色を調合する必要あります。
郵便ポストの赤📮、消化器の赤🧯、日の丸の赤🇯🇵、それぞれ違います!
石塚先生はこの色の調合が天才的に巧妙で、躊躇する事なくあっという間に色を作り上げ、補正してしまいます!
まさに達人技・名人技です❗️
不断の鍛錬の賜物でもあると思うのですが、赤色🟥と青色🟦を足して混ぜると紫色🟣になるという理論レベルに留まらず、色の偏りをセンス・感性で察知、目指す色を外す事なく瞬時に創り出せるのでしょう!
天地自然全般を天啓のように見切られる、福岡先生や徳山先生のように❣️
脳機能が弱まった今の私にとって、いかに学校教育に代表される知識やロジックが、万物の本質を捉えるのに限定される、もしくは阻害さえしてしまうかを実感しています。
慢心や生意気さは、人間が生きる上でも、愛❤️といのちの星地球🌏にとってしても、邪魔以外の何ものでもありえないことを、毎日の入院生活で経験しています😇
愛(慈悲)の面持ちで、自分の中にある素心を曇り無く、ありのままに信じること=感性(第六感)をもっと活かして生きること❣️
理屈で人が動かないように、
自然や生活環境を、科学知識や狭小な思い込みだけで制御する方向性は、
諦めた方がいい氣がします♪✨
最後に福岡正信先生の著書から引用させていただいて、終わりにさせていただきます🙏
※取り留めの無いお話しを長々と失礼いたします🙇🙇🙇
自分自身も独善的にならぬようと自制したいと思います❗️
なんとか偽りのない真意を!(以前の私を反省して)面倒くさがらず、怖れずに発信していきたいと思います🙇😅🙏💕
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