【病床録】五
〜断常の中道〜
意識不明の臨死状態の時、とても気持ちが良く、心が安らいでいる状態でした。
なぜか川の水の流れとは逆の方向に、大きな病院船のような乗り物で進んでいきます🌊🛳️🌊💦
波止場をいくつか経由しながら、霧が立ちこめる方へ方へと。。。
いわゆるあの世に向かっていたのかもしれません😅
【最期】までは行かなかったのですが、なんとなく《続き》があるような気配でした。
少なくとも、死んだ後、一切が終わりになるという断定は今の私には全く出来ません❗️
💦💦💦💦💦
水を火にかけると、煮え立ち>お湯になり>沸騰し>水蒸気になる‼️
いつ誰がやってもそうなる、目に見える『因果の法則』です🥸 (形而下学)
この時状態は変化するも、しかし基本的に水(H2O)ということは保たれます。
変わり続けないものは無い!という『諸行無常』の法則が万物に適用されるなら、霊や魂といった目に見えない存在も、死ということを経たとしても、変わり続けるものの絶えることは無い気がします🙄 (形而上学)
「死んだら終わり」という【断】でもなく、「永遠に生き続ける、もしくは死んでも今のこの私はずっとこのままで存在する」という【常】でもない❣️
『ずっと同じく続いていくのでもなく、またなくなってしまうのでもない』という観点が、「死」に関連するいのちの存在にしっくりくるように思います😗
仏教では【断常の中道】というそうです。
私は経験を通した実感として合点します😇
💫💫💫💫💫
臨死の時、自分の人生を含めた地上界の様子を回想することが出来たのですが、よく言われるようにまさに「人生はお芝居のよう」に観えました😝
振られた《配役》なのに躍起になって翻弄され、《台本の台詞》なのにムキになってしまいその度に一喜一憂し、《張りぼての小判》をまるで本物と錯覚し目と心を奪われる🤣😝
芝居が終わったら、何にも無いのに。。😆
なんだか滑稽やなぁ〜🤪
だけど、
いい演技をしてこそ、役者は輝くのが真実✨
本氣にならないと感動的なイイ芝居・楽しい芝居にはならない❗️
演じる前と後では、同じ自分ではあるけれど、成長をともなった変化がそこにはある‼️
だから、必ず終わる虚構のお芝居だと分かっていたとしても、軽んずることなく一生懸命生きるのが善いなぁ〜となる😄😇🤩
やむにやまれぬ大和魂❣️ですね!
そして、必ずくる千秋楽【死】の後も、次の公演が、違う配役・違う脚本の芝居として行われる😚
そんな感じがしています。。♪
🌈🌈🌈🌈🌈
比較的若い時分から、【中道】ということを人生のテーマとして来ました。
分かっちゃいないんですけどね。。
これまで見聞した中で最もしっくりした、【中道】の定義を以下、引用させていただきます!
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「中道」とは、人間の営みの中で、「本当は何が正しいことか」と常に仏に問いかけることである。在家は修行僧のような清貧でストイックな生き方をする必要はないが、かといって移ろいやすい俗世の価値観だけを行動の原理にすることでもない。仏の世界と人間の世界の双方が同時に視野に収まった、いわば中間の道を生きることが肝要なのではないか。
これが『至要之道』(肝心かなめの道)なのではないだろうか。
仏の声を聞きながら娑婆を生きる。こういう生き方を説いたのが「中道」であろうと思われる。
要するに「中道」を生きるとは、「仏の心を持って俗世を生きること」である。
※エンサイクロメディア空海 高橋憲吾 氏
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よく巷で、「死ぬこと以外はかすり傷」と聞きますが、
宇宙の真意からすると
【死ぬことすらもかすり傷】
なんだと思います❣️
だから、今生も生ききりたいですね😇🙏💕
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