【病床録】二
〜目にうつる全てものは、メッセージ〜
今でも脳に病変が残り、常にボーとした状態です。
認知テストの結果も悪く、記憶力が衰えたのも自覚できます。(看護師さんの名前がよく覚えられない)
よく長文をかけるねと言ってくれる人もいましたが、このようなある特定の内容については文に記すことができます。
大脳の働きが鈍ったせいでしょうか?
感性が少し鋭くなったような気がします。
入院している病室は狭いが故に、人間模様が濃いものがあります。
患者さんや医療従事者、人と人とのやりとり、その中にあって、いわゆる『氣』の往来が観じ取れるようになりました。
意識を取り戻してすぐの頃は、人の言動や佇まいに色が付いているように見えたくらいです(オーラ?)
心臓の鼓動が常に動いているように、物理的にも人間は揺れているようです。いわゆる波動と言う存在もはっきりと感じられます。
いろいろな人がいるものです。
特に患者さんと看護師さんの会話は部屋中よく聞こえます。
謙虚に治療を受けている人が大多数なのですが、大変気落ちしていたり、悲観に暮れている方、横柄な態度を誰にでも取る方、暴言を吐く方等々。。。
心身ともに病んでいるのだから、お互い様、仕方のないことと最初は思っておりました。
ある日のことです。
昏睡状態の時にこの世は鏡の法則合わせ鏡の法則と言うことを見せられたので、これらの目の前に起こる出来事(人間ドラマ)は、私側の心の状態が映り込んだものではないかと気づきました。
大きな声で治療を拒絶し、暴言を吐き続ける患者さんが私のベッドの隣となりました。
めんどくさいなぁ、迷惑だなぁとはじめ思いましたが、鏡の法則を思い出します。
これは私自身の心の感情が現れているのではないか❓
どういうことかというと、私の中に、身動きのほとんどままならない体の状態への焦り、とにかく忙しい看護師さんがなかなか自分の用にかまってくれない苛立ちが、抑圧されているだけ、私の心に確かにあったマイナス感情が反映されているのではないか!と気づくと、合点が行きます。
目の前で身に起こる出来事は全て自分に対するメッセージである。
自分を映し出している鏡である。
この場合、問題は相手の患者さんではありません。
私自身の心の問題です。
こうなると、私は私自身はこの感情に寄り添い、向き合う必要があります。
そして共感してあげるのが良さそうです。
「辛いよね。苦しいよね。自由がないよね。
頑張っているね。辛抱強いな。お前さんは!」
そうすると、自分の心が楽になって落ち着くことができました。
大きな怒鳴り声ももう気になりません。
そのうち、だんだんとその怒鳴り声自体が減っていきました。。
大変重症な患者さんでしたので、苦しそうなうなり声をよくあげます。
あまりに痛々しい声でしたので、私は自然と彼が安寧であるように、なるべく慈悲の心持ちで願います。
さらには、自分の幸があの人に行くように、あの人の不幸が全て私に来るように、と念じます。
これはチベット仏教における慈悲の心を養うための、心の訓練「トンレン」と言う修行法です。
このことを実は知識としては知っていたのですが、実際に体験してみる機会となりました。
このことによって相手の患者さんの容体が改善されたかは分かりません。
しかし、私の心がとても落ち着いて、やがてはエクスタシーさえ感じる至上の精神状態となったのです。
そしてついに私は病室を移動することとなり、その患者さんから離れることができました。
メッセージの必要性がなくなったからでしょう。
悩みや怒り、苦しみ、妬み、恨み等のマイナス感情を他者や外部環境のせいにしない!
全ては自分の心がつくっている。
もう一人の自分(ほんとうの自分=真我)の本心(宇宙からの意思)を、今世地球で懸命に生きている仮の自分が承知するのは、案外難しいようです。
かなり事情が複雑だったり、気持ちが頑なになっている時は、本心を突き止めにくくなります。
師匠 徳山暉純先生より學んだ、【象學】(「生きた経典」としての自然の現象から、人間の注釈を加えず直接學ぶ・天啓の解析)は、ヒントになる智慧です!
例えば、トンボが目の前に現れたら(後ろには飛べないので)、「不退転」のメッセージとか。。
そして、自分と向き合う・自己観察、いわゆる止観、内観、瞑想を學び実践します。
スピリチュアルと言うより、宇宙自然の叡智からの【教學】と、経験・実践による【修養】のなせる技と思います。
私はまだまだ体得できていませんが。。🤣
✨やさしさに包まれたなら 荒井由実
🎵〜目にうつる全てのことは メッセージ
✨INFINITY KOKIA
🎵〜産み落とされもの全て何かのメッセージ
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